こんにちは。
子育ての傍ら、フリーランスのママライターです。
子どもの個性は十人十色と言いますが、まさにその通り!
子どもの苦手・得意は一人ひとり異なります。
同様に、モノ・サービスだって、一つ一つ売るべき特徴が異なります。
「良い商品だと思っていても、なぜか売れない・・・」と悩みがある人は、売ろうと勝負できる場所=ペルソナの視点を、もう一度立ち止まって振り返る必要があるかもしれません。
モノ・サービスがあふれる現代で、頭一つ飛びぬけるには、闘う場所を見誤らないことが重要です。
闘う場所を変えれば、どのようなモノ・サービスだって輝ける!
多くの価値観で溢れる現代だからこそ、強みや個性を見極める目が、大事なのだと感じています。
【子育て】そうは言っても、隣の芝生はいつだって輝いて魅力的に見える
運動が嫌いな息子は、運動系の習い事をしても、ある程度のところまでくると行きたがらなくなります。
男の子だし、コロナ禍で運動不足も気になるので、スポーツをやらせようと色々と試みたものの、やらないと決めたらテコでも動かない頑固者。
周りの子は、好きでスポーツを頑張のに、どうしてうちの子は・・・と思ってしまうことも少なくありません。
スポーツをバリバリして欲しいわけではないけれど、「子どもなんだし」「男の子なんだし」どうしても、もっと体を動かしてほしいと思ってしまっていました。
しかし、レゴ遊びが好きな息子が唯一はまった習い事である、ロボット教室は率先して通っています。
入会してすぐに上のクラスへ飛び級し、年上のお兄さん、お姉さんに混ざって難しいロボットの組み立てをいとも簡単にこなす息子。そのうえ、ロボット教室で興味がわいたらしく、「プログラミングも習いたい!」と自分から言い出しました。
主体的な姿勢を見せる息子を見て、習い事を嫌だ嫌だと、さぼろうとしていた息子と本当に同じ人物なのか、と驚いています。
子どもは本来、みんな特別な能力を持つものだと思います。ただ、世の中に受け入れられやすい能力と言うのは存在します。たとえば学校教育の場では、勉強やスポーツが高く評価されがちです。しかし、それらが高く評価されるからと言って、そこに子どもを合わせようとしても、なかなか上手くいきません。子どもの本来の良さを見失ってしまうことになりかねません。
そうではなく、子どもの長所や好きなものを社会でお金に変えられるように発見できるよう、どうすればよいかを、探してやるべきなのかもしれません。
「どこにいっても通用できる子にしたい」と考え、様々なことを経験させるのも親の愛だと思います。しかし、どこの場でもプロフェッショナルに通用できる人間というのは一握りです。たいていは、オールマイティに育てようとした結果、「どこにいっても中途半端な評価しか受けられない子」になってしまいがちです。
100人の人間に、1ずつしか評価されないより、1人に100評価される方がよっぽど価値があるかもしれない。
そのためには、子どもの個性を見極め、短所を平均に近づけるより、長所を伸ばすという視点の方が重要なのだと思います。
子育てで、隣の芝生はいつだってまぶしすぎるくらいに輝いています。常識に照らし合わせたり、親の価値観で子どもを見てしまうと、子どもの良さを見誤ってしまうから気を付けたいです。
自分なりの強みを見つけることが重要
どんな子でも視点を変えれば、絶対に良い点があると思います。ただ、それは今の社会や親、教師からは評価されにくいものかもしれません。
二人の息子を東大に合格させた母親の話を聞く機会がありました。
その人は、社会で戦っていくためには、「学力」という武器が何よりも必要だと息子たちに教え、そこに照準をおいて子育てをした、と語っていました。ただ、そのママ自身が東大出身だったので、息子たちが勉強が得意でも不思議ではありません。
そうではなく、たとえば勉強があまり得意でない子に「社会で戦うためには勉強が一番重要だ」と言ってしまったら、それは親子ともにあまりに不幸です。勉強が得意でない子は社会で戦っていけないという、親からのメッセージになってしまいかねないからです。
でも、そうじゃない。勉強ができなくても他の能力を活かして戦っていける場所は必ずあると思います。
また、ある人は、不登校で、その間ゲームを3万時間やったのだそうです。そして、ゲームの大会で素晴らしい成績を収め、賞金も稼ぎました。しかし、それについては誰も評価してくれなかったのに、囲碁の大会に出場したときは両親がすごく応援してくれたそうです。囲碁よりもゲームの方が競技人口も多く、すごい成績を出していたのにも関わらず。
そこに、ずっと違和感を持っていたから、ゲームを社会的に認められるようにしたいと語っていました。
そして、実際に本を出版したり、子供向けのゲームの習い事を運営したり、不登校で悩む親子へ向けたメッセージを発信したりと、社会で活躍しています。
学校という場にはなじめなかったけれど、自分の好きなことや強みを仕事にして、社会にはとても上手に馴染んだように見えました。
今は不登校が多くなり社会問題になっています。また、ゲームもeスポーツができたりと、注目を集める分野です。そんな時代の流れにも上手に乗って、自分の強みをお金に換える。そういう、自分を客観視し分析できる能力が、生きていくためには必要なのだと思います。
その点で、誰もが価値を認めたものが得意だったり、好きな子どもは、それだけで他の子よりも有利だし、生きやすいのだと思います。
ただ得意なこと、好きなことをしていれば、褒めてもらえる。そのまま強みを伸ばしていけばいいからです。
しかし、そうでない場合の方が圧倒的に多いでしょう。その場合、まず自分の強みをお金に換える方法として、どういう視点があるかを考える必要があるので難しくなります。
どのような能力でも視点を変えれば、活かす方法はあるのだと思います。ただ、そこに至る過程が、スポーツや勉強が得意な子に比べて分かりにくいから難しいのです。
自分の強みは、自分では見つけにくいものだと思います。周りが注意深く観察して、初めて個性や強みが発見できるものかもしれません。見守ってくれる人が居るか否かで変わってくるように思います。
どの層に響くかを徹底的に分析するのが重要
これと同じように、モノ・サービスを売りたいと考えるなら、戦う場所や売り方を誤ってはいけないのだと思います。
「自社のモノ・サービスを本当に必要だと感じているのは、どの層の人間なのか」という視点は、モノ・サービスの良さを伝える上でとても重要です。
さらに、必要な人に刺さる売り方や会社のブランディングも重要です。
「安い」「高品質」など分かりやすい価値を持ったモノ・サービスなら、多くの人に知ってもらえさえすれば勝手に売れていくかもしれません。しかし、そうでない場合には、本当に必要とする人を探し出し、そこにピンポイントで刺さる売り方を模索していく必要があります。
そして、モノ・サービスを売るためには、逆転の発想も必要です。
たとえば、黒くなってしまったバナナ。
「黒いバナナ」は「黄色いバナナ」より手に取る確率が減るお話。黒くなったバナナを欲しがる人間なんていない。廃棄処分にすべきだ。と考えてしまうかもしれません。しかし、逆転の発想で「黒いバナナは甘い証拠。柔らかくてつぶしやすいのでケーキ作りに最適。砂糖を使用しないで甘いケーキが作れるから子どもにもピッタリ」と言って売り出せば、買ってくれる人はゼロではないでしょう。
見る方向や目をつける場所を変えれば、異なる景色が見えてきます。
私は「話す」ことが苦手です。どもってしまうとか緊張からくる抵抗感ではなく、なんだかへらへらして話すように見えてしまったり、思いつくままに話してしまうから内容が上手く伝わらず、誤解されてしまったりします。
そして、シリアスな内容や真面目な内容を話しても、へらついた見た目も相まって、どうやら説得力に欠けるらしい。しかし、そんな私が文章にして自分の想いを書いたとき、いろいろな人から褒めてもらえました。
「いつも何を考えてるか分からなかったけれど、こんな風に物事をとらえていたんだね」とか、単純に「文章が上手でびっくりした」などと褒めてもらえたのです。
だからこそ、今のライターという職業は、私にとって向いて戦う場なのかもしれないと感じています。顔を出してプレゼンしないといけない場では、なかなか自分の想いが伝わらず評価されなかったのに、気持ちを伝える方法を文章に変えただけで評価してもらえるようになった。
私が「話す」ことを上手にしようと努力しても、きっと高い評価を得られるほどには成長できなかったと思います。
「私」という人間は何も変わっていないのに、武器の使い方、勝負する場を変えただけで世界は変わり始めたのです。