A.I.がこちらの望む文章を即座に書いてくれる、Chat GPTが人気を博しています。
提示した条件を満たした文章をあっという間に書き上げてしまう夢のような機械。登場人物やあらすじを指定すれば、簡単な小説まで書き上げてしまうそうです。
そんな盤石とも言えるA.I.が存在するなかで、ライターとしてお金をいただいている私は戦々恐々としています。
機械が文章や小説をあっという間に書き上げてしまう時代に、私(人間)が書く文章に価値があるのだろうか、と。
人間に書けて機械に書けない文章というものがもしあるとすれば、それはどのような文章なのか。今回は、A.I.の出現によって今後ライターとして求められるモノは何か、私の考えを綴っています。
人間とA.I.の違いは「過去や経験」
さまざまな質問に対して的確で迅速に答えてくれると評判のChat GPTですが、なんと自分の名前は答えられないのだそう。
人間は一人ひとり名前を持っています。
名前は、人を個別化して認識するために必要なモノですが、名前を与えられることで自分自身の人生を生きていく感覚に繋がります。個体として他者から認識され、自分でも他者とは異なる個体として意識する。
人は時間軸のなかで生活をしており、「今」という瞬間が過ぎれば、それは「過去」の出来事になります。その過去で経験した事柄について無意識的にでも何かしらの感想を持ちながら生きています。
たとえば、さっき食べた食事。おいしかったのかおいしくなかったのか、味覚を通じてその人なりの感想を持ちます。
また、今日見た景色や通勤時に降っていた雨のニオイ、それらの一つひとつから五感を通じて何かを感じ取って生きています。
一つひとつの出来事には大した思いを抱かないことが多いですが、それらが組み合わさったとき、または過去と過去が結びついたときに、深い感情が生まれたりします。
これに対して、Chat GPTは名前が言えないだけでなく、過去や経験を持ちません。そのため、過去の出来事や経験から思いを感じ取ることがChat GPTにはできない。
これがChat GPTと人間との大きな違いだと思います。
経験に基づく感情の入った文章が人の心を動かす
Chat GPTは、精度の高い文章を即座に書きあげてくれると好評です。
私のように誤字脱字を乱発することもないし、何より仕事がはやい。仕事に対して余計な雑念を挟むこともなく、与えられた条件を満たしながら読みやすい文章を書き上げてくれるChat GPTは、ライターとして私より遥かに優秀です。
でも、私はChat GPTが持っていない「過去」を持っています。それは輝かしいモノでないばかりか、思い返すだけで赤面してしまうようなモノばかりで負の遺産とも言えます。ですが、それが現在の私の思想を形作っているのは間違いありません。
多くの場合、過去や経験から感じ取った思いを文章にしたときに、より多くの人からの共感や感動を得られるのだと感じます。
経験した者にしか分からない、そのときの空気感や感情の揺れ動きを文章で読み手と共有できたとき、読み手の感情が動きます。
そのような文章を書けるのであれば、Chat GPTにも負けない文章を書けるライターとして活動を続けられるのではないかという期待が膨らみます。
今、ライターとして求められているモノ
2022年12月15日にGoogleの検索品質評価ガイドラインが更新された際、以前からあったEATの評価基準にE(経験)の項目が加えられました。検索エンジンの評価基準の点からも経験に即した文章というのが注目されているようです。
アンビリカルで仕事を始めたとき「あなたにしか書けない文章が読みたい」と言われました。私にしか書けない文章、すなわち私が今までの人生における経験から感じた気持ちを文章にすることを求められたのです。
アンビリカルのライターとして活動する条件には、ライターとしての経験や実績、文章の技術は問われません。それよりも、ライター本人の自分らしさが出ているか否かが重要視されています。
完璧なモノよりも少し歪なモノの方が人の記憶に残りやすいと言います。たとえば、人の顔は左右対称であることが美人の条件とされますが、アシンメトリーな顔の方が人の記憶には残りやすいそうです。
理路整然とスマートに並んだ言葉よりも、拙くてもその人なりの感情が含まれた文章の方が心に残る。これからA.I.がどんどん進化していけば、技術面では人間はA.I.には叶わないと思いますが、心を動かす文章に限って言えば、A.I.に負けない輝きを持たせられると私は思います。